あんまり理解はできないんですけど、自分探しだとか言ってわざわざ海外旅行までして自分を探しに行ってしまうような人もいます。ってかいっぱいいるみたい。意識高い系ってやつ?
そんな人がいっぱいいる中で、森博嗣さんが自分探しについて考察するために企画されたのが本書です。森さんらしい理系ならではの観点から自分探しについて語られています。合理性の塊。
自分探しに迷う、あるいは自分がわからなくなってしまったような人へ、意識高い系なあなたへ。おすすめします。
自分はどこにあるのか
自分ってなんやねんってちょっと考えたりもします。哲学的。
でもそんなもんは考えても詮無いこと。森さん単純に、自分を認識するのは、「意識」あるいは「思考」である、と言います。
理系的な考えなんてしなくても、自分なんてものは自分の中にしかないんだよなーってのはもうそりゃそうだって感じ。
海外旅行なんてしたころで、探していた自分など見つけられるわけがないということです。海外になんて自分はいるわけないじゃんね。
そんな自分探しの旅の動機とは不安であり、それが「自分探し」という猶予期間へ逃れる基本的な動機になっているとし、さらには自分探しの旅自体を自分をアピールするアイテムと切り捨てています。
海外旅行の経験を自分をアピールするアイテムにすること自体を否定しているわけでなく、それ自体は非常に戦略的であると評価もしています。
自分を見つめ直したいだけだったらお風呂でもんもんとしているだけで十分じゃないのって思うわけですよ。
結局のところ、自分がそこにいれば、自分なんてものはどこにでもあって、「自分」を見つけるには、「自分」のことを忘れられる行為に没頭することが効果的だと思う、としています。これちょっと難しいかも。
自分という存在はもっと本質的なもので、思考の中には存在しないってことなのかと。もっと無意識的なものということかな?
自分を見つけたいのであれば、心から没頭できるものがあればいい、ということになるのでしょうか?自分を忘れることで自分を感じられるってのは皮肉でもあるけど。
楽しさはどこにあるのか
ただ、心から没頭できるものと言っても自分が楽しいって思えることがわからないって人も結構いるんですよね。
趣味がほしいなーなんて言って探している人もいます。見つけるものではなくって出会うもの、あるいは昇華するものだと思うんですけどね、趣味なんて。
なんて前置きでしたけどここで大事なことは、楽しさは能動的なものであり、さらには楽しさは他者からは与えられない、ということです。
- 一般的にいえる傾向として、自分に向かって近づいてくるものは、えてして楽しくないものが多い。
- 結局、お膳立てされた楽しさをどれだけ試してみても、本当の「楽しさ」は味わえない可能性が高い
広告ガンガンのゴリ押しされたものになんか嫌悪感を感じちゃうのは多分こういうことだと思う。流行ってるものには手を出さない天邪鬼的な感じでもなくってね。
そうなると楽しさだとか趣味だとかそういうものとは自分から出会っていかないといけない。
ではどうすれば楽しさは見つかるのかというと。
- まず、望む。
- なにかを犠牲にする。
ということ。
わりと残酷な話で、結局のところトレードオフなんだなっと。限られたリソースの中で行なうしかないんだってことは実は凄く残酷なんですよね。
楽しさを求めるのであれば自分を変化させ、自分で道を決めていくことが必要となります。チャレンジ精神旺盛な人が充実しているように見えるのはこういうことなのかな?
チャレンジングな人は楽しさに出会うことに長けているのかもしれないなー。
自分と楽しさは近い位置にあるもの
この本では、
- 他者は自分のどこにあるのか
- 自分は社会のどこにあるのか
- ぶらりとどこかへ行こう
と続いていきます。
これらは、上で紹介したことをさらに深めていく内容となっていますけど、自分探しをしようという人にはまずはここまでで十分だろうなーとも思います。
なので総括すると、森さんは自分と楽しさはかなり近い位置にあるものとして、さらには自分を探すことと楽しさを見つけることはほとんど等しい、としています。
自分という存在は楽しさを感じるものによって表現されるってことかな。一見難しいようでこれってかなり単純だとおもう。
自分探しのノウハウというか、方法論としてはこれ以上のものはないと思う。そうなれば自分探しの旅なんか計画する前にまずはこの本を読むのが先でしょうよ。
たぶん、あなたが行こうとしていた旅は自分探しの旅から目的は変わることになるのではと。自分探しというものを理解してから旅立つことができたのなら、それは自分を成長させる旅にすらなるのではないかなーとね。
それではまたーねー。以上、あぽかる(@apokaru)でした。Yes,I’m Apokaru!