又吉さんの火花との同時受賞、さらには作者ので羽田圭介さんのぶっ飛び具合で色んな意味で話題騒然だった第153回芥川賞。
このスクラップ・アンド・ビルドもいいですねぇ、なかなかわたしが普段読んでいる本とは違った味わいがありました。
なんつーか芥川賞も懐が深い。文学賞ってのもまだまだ捨てたもんじゃないですねぇ。
あらすじ
「早う死にたか」毎日のようにぼやく祖父の願いをかなえてあげようと、
ともに暮らす孫の健斗は、ある計画を思いつく。日々の筋トレ、転職活動。肉体も生活も再構築中の青年の心は、衰えゆく生の隣で次第に変化して……。
閉塞感の中に可笑しみ漂う、新しい家族小説の誕生!
「生きる」ということ
この本のテーマは「生」そのもの。これはすごくわかりやすい。でもそれを介護と筋トレの2つの軸で語るあたりすごいセンス。
主人公である健斗が「死にたい」と口癖のように言っている祖父を見て、あるいは筋トレによって生を実感していたように、祖父は祖父で「死にたい」ということで生を実感していたとそれだけの話しで。
死というものが身近になったからこそ生もやっぱり身近に感じるというのはわかりやすいけれど、余裕のない健斗にはたぶんそれがわからなかったんだろうなって。
死にたいと言いながら溺れるのを嫌がった祖父を見てやっと気付いて、たったそれだけのことだけどそこにたどり着いたことで健斗が成長できたんだなって考えると大した話ではないんだけれど。
死にたいって言葉は前向きなことだたってアゲインでも言ってたし。生を実感するために死を感じるってのは理に適ってるとは思うよ。メンヘラがリスカしたがるのも同じことでしょ?しらんけど。
だからまぁこの本にとっては介護問題だとか戦争の話だとか、そんなものはすべて舞台装置に過ぎなくって別にそこに突っ込んだ話をしたいわけじゃないんだってこと。
祖父に対する母の当たり方だとか結構リアル感あってよかったけれど、でもそんなのはどこまで行っても演出でしかないんだってこと。
筋トレだってそれは同じ。でもそこに筋トレを持ってくるセンスはまじでぶっ飛んでると思う。この辺羽田さんのマジでスゴイところだと思う。
生きるってことについては結構書き尽くされている感があるからこそこういった飛び道具がでてくるとすっげー新鮮に読めるなーと。
他人は自分の鏡
「死にたい」という祖父を尊厳死させてあげとようとしていた健斗が、結果的に死んでいるようだった自分を社会復帰という形で生き返らせることでこの物語はおわる。
祖父の死を社会の利益とつなげて考えていたように、健斗は祖父に尊厳死をさせてあげることで自分を救おうとしていたってこと。
たぶん健斗にとって祖父は自分を映す鏡だった。だからこそそこから様々なことを学んだし、社会復帰にまでたどり着くことができたのだと思う。
祖父を尊厳死によって救おうとした健斗自身は結果的によって祖父に救われた、この物語はそういう形になってるんじゃないかとおもった。
深読みしようと思えばいくらでもできそうだけれど、あえてこのへんにとどめておこうかなーと思う。作者がどこまで考えて書いてるのかってのは関係なくね。
結局作者が考えてたことなんてどうでもよくって、受けてである読者がどうおもったかが一番重要なんだと思うの。だからわたしはわたしがしたい解釈で終わらせます。読書ってそういうものでしょ?
それではまたー。